《特集 : 放射線を測る》

《特集 : 放射線を測る》
ゲルマニウム半導体検出器による線スペクトロメトリー
セイコー・イージーアンドジー株式会社
板津 英輔
Hidesuke Itadzu
緒言
東日本大震災に伴って発生した福島第一原子力
発電所事故により放射性核種の大量放出が引き起こ
された。これにより日本国内では食品を含む、環境
中の放射性核種に対する関心が非常に高まり、さら
に2012年の4月からは食品中の放射性物質の新たな
規制値が厚生労働省から発せられた。
この新たな規制値をふまえ、放射性核種、特に放
射性セシウムに着目して放射能濃度の定量をしよう
とする事業者では食品等の試料中における微量の放
射性核種の定量を目指しており、その要求は放射能
濃度で 10Bq/kg を大きく下回る場合もある。
線スペクトロメトリーによりこの要求を現実的
な時間内に満たすためには検出器にもよるが、全エ
ネルギーにおける総計数で 2~3cps 程度以下のバッ
クグラウンド及び半値幅で 2keV 前後の分解能が必
要となり、要求を満足するためには高純度ゲルマニ
ウム半導体(HPGe)検出器を用いた検出系の採用が
もっとも適している。ここでは HPGe 検出器につい
て、機器及び分析手法について紹介する。
1. 機器構成
HPGe 検出器を用いた検出系は、HPGe 検出器、液
体窒素デュワ等の冷却系、遮蔽体、マルチチャネル
アナライザ及び解析用コンピュータ等で構成される
(第 1 図)。代表的なレイアウトを写真 1 に示す。
1.1. HPGe 検出器
HPGe 検出器は特殊な用途のものを除き、線エネ
ルギー感度が 50keV 程度から 10MeV 程度までを有
する P 型で形状が同軸状の半導体結晶を持つものが
多用されている。
検出器の性能 1を表す指標として相対効率、エネ
ルギー分解能(60Co 1332keVにおける分解能, keV単
位で表される半値幅)、ピーク/コンプトン比(P/C)等
が用いられている。一般的には相対効率が大きく、
エネルギー分解能が小さく、かつP/Cが大きいもの
が高性能とされている。
HPGe検出器
プリアンプ
Signal
マルチチャネル
アナライザ
Interface
(LAN/USB/etc)
解析用
コンピュータ
Preamp power
バイアス(HV)電源
HV bias
第 1 図 ブロックダイアグラム(処理系)
写真 1 代表的機器レイアウト
1.2. 冷却系
HPGe 検出器は液体窒素温度程度まで冷却された
状態で使用される。そのため液体窒素又は冷凍機に
より冷却される。近年液体窒素補充を省力化し、か
つ停電時でも冷却の保持が可能な液体窒素デュワと
冷凍機を組み合わせた冷却方式も普及している。し
かしながら冷凍機は可動部分を含んでいるため、導
入後一定期間の運用後にメンテナンス又は交換が必
須とされる。
1.3. 遮蔽体
測定環境中には天然由来の放射性同位元素が多
数存在しており、それらの核種に起因する線、遮蔽
体及び検出器自身ならびにそれらとの宇宙から降り
そそぐ高エネルギー荷電粒子との相互作用で生まれ
る線により一定のバックグラウンド計数を生ずる。
これらのうち、特に天然由来で遮蔽体外部に存在す
る放射性同位元素からのバックグラウンド計数を抑
制し、着目ピークエネルギーの検出限界を下げるた
めに遮蔽体が使用される。第 2 図に相対効率 20%程
度の HPGe 検出器における遮蔽体が無い場合のスペ
クトル及び、遮蔽された状態におけるスペクトルの
一例を示す。
それぞれには同一の 134Cs の計数が含ま
れており、検出器を良好に遮蔽することでバックグ
ラウンド計数が2桁程度減少しているため134Csのピ
ークが視認可能である。
遮蔽体は通常、厚さ 100mm 程度の鉛又は相当す
る厚みの鉄が用いられ、全計数で 2~3cps 程度を容易
に達成することができる。これを大幅に下回る低バ
ックグラウンド計数を達成するには遮蔽体構成材、
設置場所又は検出器構成材料の厳選ならびに、遮蔽
体と検出器の寸法及び位置関係について最適な設計
を行う必要があり、導入費用が著しく高額となる。
第 2 図 遮蔽体の有無によるスペクトル差異の例
1.4. マルチチャネルアナライザ(MCA)
MCAは波高分析器ともいわれ、検出器が出力する
線エネルギーに比例した波高値(電圧値)を持つパ
ルスを波高別に計数するための装置である。波高値
と線エネルギー値を対応付けるためには2.2項で後
述するエネルギー校正の実施が必要である。
以前は HPGe 検出器のプリアンプ出力の増幅から
波形整形までをアナログ回路で行われることが多か
ったが、ディジタル波形処理技術の向上により近年
ではプリアンプ出力以降を直接ディジタル MCA に
入力し処理する手法が大半を占めており、それらは
高圧電源、波高弁別回路をモジュール化し、交換可
能としたタイプ及び一体化したタイプに大別できる。
1.5. 試料容器
従来、環境試料中の放射能定量という目的のため
には 2l マリネリ容器及び 100ml プラ軟膏容器(代表
的商品名: U-8 容器)が用いられている。また、これ
らの容器に充填された試料定量に必要な値付けのた
めの体積状標準線源が市販されている。
マリネリ容器及びU-8 容器に関しては文部科学省
制定の放射能測定法シリーズ(文科省マニュアル)2中
にその形状及び寸法が紹介されている。
2. 校正
2.1. 効率校正
放射能を定量しようとするとき、前述1.4項の
MCAから得られる情報はチャネル毎の計数であり
ここから単純に得られる値は毎秒あたりの計数(cps)
でしかない。放射能値に換算するためには試料中で
放出される線に対して検出器で得られる計数の割
合が機知でなければならない。この割合がピーク検
出効率と呼ばれるものであり、試料中で線が 1 本発
生するときの検出系における計数で定義され、その
単位は通常counts/で与えられる。ピーク検出効率は
測定しようとする試料形状、媒質及び密度ごとにあ
らかじめ標準線源を用いて求めておかなければなら
ないが、媒質及び密度に関しては後述する3.3項によ
り補正できる場合があり、その場合は代表的な充填
材の標準線源により校正が実施される。
また、U-8 容器に充填された試料のように柱状の
試料に対してはあらかじめ複数の充填高さの標準線
源を用いた校正を実施することで分析時にはその高
さ vs. 効率値から内挿により任意充填高の効率を算
出できる場合がある。
健全な環境で使用され続けている検出器の効率
値は同一の形状、媒質及び密度の試料に対しては通
常有意に変化することは無いため、測定毎の校正は
必要とされないが、定量値の信頼性を確保するため
の定期的な効率校正又は定量値の定期的な確認は不
可欠である。
なお効率校正するエネルギー範囲に関しては標
準線源として実用的に使用可能な核種が 10 種程度
と限られており、多くの場合、88keV~1836keV の範
囲で行われる。
ところで、放射能強度毎の標準線源を用いた検量
線の取得は通常実施されない。これは放射能の多少
に起因するデッドタイム(不感時間)という計数の数
え落とし補正の必要性はあるものの、デッドタイム
の補正は通常の MCA ハードウェア内に実装されて
おり、環境レベルの試料ではその補正の範囲内で実
用上十分な定量が可能という理由によるものである。
2.2. エネルギー校正
MCAで得られるスペクトルに現れる線ピークの
中心位置は電圧値に比例する便宜上の数値であるチ
ャネル番号でしかない。このため、エネルギー校正
されていない状態ではそのピークの線エネルギー
を知ることはできない。エネルギー値を求めるため
には十数本のエネルギーが機知である線を放出す
る2.1項で使用する標準線源を用いてエネルギー対
チャネルの関係を求めておき、この結果をエネルギ
ー校正データとして分析時に得られるピーク中心チ
ャネルに対して適用し、
ピークエネルギーを求める。
エネルギー対チャネルの関係は常に機知でなけ
ればならないため、日常的なエネルギー校正、又は
この関係が一定であることの確認が求められる。
60
Co の標準線源を測定し、1332keV の線が形成する
ピークの中心が 2665 チャネルであることの確認も
この一例であり、広義のエネルギー校正といえる。
この確認を怠り、実際のエネルギー対チャネルの関
係と校正データとの間に差異がある場合、スペクト
ル上に定量対象核種のピークが認められるにもかか
わらず有意なピークが不検出又は他核種のピークと
取り扱われる致命的な結果を得ることとなる。
なお、エネルギー校正の実施と同時にエネルギー
対ピーク半値幅(FWHM)の校正も実施され、併せて
その情報が保存される。この情報は後述のピークサ
ーチ及びピーク計数算出のためのピーク領域決定に
使用されるため、HPGe 検出器の劣化等で導入当初
と比較し FWHM の広がりが認められる場合は再度
校正を行う必要がある。
3. 分析手法
国内で入手可能な日本語に対応した線スペクト
ルを分析し定量するソフトウェアは文科省マニュア
ルに沿った分析を実現しているものが多い。定量分
析に含まれるいくつかのパートについて本項で紹介
する。
3.1. ピークサーチ及び核種同定
ピークサーチはスペクトルに着目エネルギーに
おける FWHM を考慮したフィルタを使用し実施さ
れる。
サーチされたピークの中心チャネルを2.2であら
かじめ得られているエネルギー対チャネルの関係に
当てはめ、エネルギーに換算する。この換算された
エネルギーと線ピークエネルギーが登録された核
ライブラリを比較することで核種同定が行われる。
3.2. ピーク/検出限界計数の決定
定量対象核種についてはその核種が放出するピ
ークの領域に関してその正味計数及び検出限界計数
が求められる。試料とは別に測定したバックグラウ
ンドスペクトル中に定量対象核種のピークが認めら
れる場合はバックグラウンド計数として差し引く、
ピークバックグラウンド補正(PBC)処理が行われ、
ピーク計数及び検出限界計数に PBC の結果が加味
される。
このほか定量対象核種のピーク位置に他の核種
のピークが重畳するときはこの影響も妨害ピーク処
理として加味される場合がある。
なお、我が国での市販分析ソフトウェアにおける
検出限界算出方法はマニュアルに紹介されている
Cooper の手法を採用している。
3.3. 自己吸収補正
媒質の元素組成、密度が試料ごとに異なる場合は
媒質中を線が透過するとき媒質中で相互作用を受
ける確率、
すなわち減弱の度合いもそれぞれ異なる。
多くの場合体積線源はアルミナ又はエポキシで
作成されておりそれぞれの密度は 1g/cm3 程度であ
る。校正の標準となる線源の媒質及び密度は定量対
象試料のそれとは異なる場合がほぼ全てであるため、
近似できる場合を除き校正時及び測定時の媒質自身
による線の減弱を補正する自己吸収補正が必要で
ある。
自己吸収補正は2lマリネリ容器又はU-8 容器等の
ようにその計算法が明らかな場合に限り可能である。
これら以外の容器で定量を行う場合は近似できるこ
とが明らかな場合を除き自己吸収の度合いを独自に
評価する必要があることに注意されたい。
3.4. サム効果補正
放射性核種の一部には134Csのように1壊変あたり
検出系が弁別できない時間内に線を 2 本以上放出
するものがある。この場合で 2 本以上の線が同時に
検出器に入射し計数されるとき独立の線としてで
はなく、それぞれの線が検出器に与えたエネルギー
の和に相当するパルスが検出器から出力される。こ
の確率は検出器のピーク効率及び全効率ならびに核
種に固有の壊変パターンにより決定される。一例と
して 134Cs の壊変パターンを第 3 図に示す。
このようにサム効果を生ずる核種のピークはサ
ム効果が無い場合の計数と比較して減少又は増加す
る場合があり、
その割合をサム効果補正係数と呼ぶ。
サム効果の寄与は本来の計数と比較し±10%程度、
場合によっては±50%を超える差異を与える場合も
あるので注意が必要である。
134
55Cs
27%
2.5%
70%
L5
L4
L3
L2
98
%
60
5k
eV
0.45%
3.
0%
8. 13
7% 65
15 80 keV
% 2k
56 eV
1.
0%
9k
eV
1. 10
5% 3
9
85
47 ke
%
5k V
eV
79
1.
6k
8%
eV
8. 11
4% 6
8k
56 e
3k V
eV
2.1y
‐
0.008%
L1
134
56Ba
stable
出典: Table of Isotopes 8th ED (部分的に抜粋。数値は例示のため丸めている。)
4. 応用例
近年では原子力発電に関連する人工放射性核種
定量のために HPGe 検出器が用いられることが多い
が、このほか、微量元素定量手法として試料に対し
原子炉又は加速器により中性子を照射し放射化した
試料の放射能から含有元素を定量する手法がある。
また、近年では生活用品の一部に天然に存在する
ウラン系列、トリウム系列等の放射性核種(NORM)
を含んでいるものもある。これらに対する規制も始
まりつつあり、場合によっては放射能定量が求めら
れる。
これらいずれの用途にも HPGe 検出器が利用可能
な事例があるが、事例に応じた分析条件、核種デー
タ、場合によっては専用ソフトウェアの準備が必要
とされる。
第 3 図 壊変パターンの一例
サム効果の補正をする際は効率校正で得られる
エネルギー対ピーク効率の関係のほか、前述の全効
率が検出器毎に必要となる。この全効率は実際には
単一エネルギーの線を放出する複数の核種を個別
に測定し得られるピーク面積と全面積の比を複数の
エネルギーに対して求めたものでありこの校正を、
ピーク・トータル比の校正(P/T校正)と呼ぶ。効率校
正の実施時に使用する混合標準線源を用いてこの校
正はできないため、複数個の単一核種の線源が用い
られるが、これらの線源のなかには短半減期のもの
もあり、定期的な校正の都度実施するのは合理的で
ないためHPGe検出器の相対効率から近似的に求め
る経験式2が多用されている。なお、この経験式は相
対効率50%程度以下での検出器で実測との限定的一
致が確認されているが、大型の検出器への適用及び
精密な測定への適用にはその影響を都度評価するこ
とが必要である。
3.5. 放射能濃度及び検出限界算出
放射能値及び検出限界放射能値ならびにそれら
の濃度はそれぞれピーク面積(計数)及び検出限界計
数ならびにサム効果補正係数、
自己吸収補正係数等、
各種の補正係数から算出される。
ここで得られた放射能値に対し核種別の半減期
及び経過日数を必要に応じ考慮した減衰補正係数を
考慮し、さらに試料量で除算することで放射能濃度
及び検出限界放射能濃度を得ることができる。
結言
HPGe 検出器を利用した放射性核種定量はハード
ウェア及びソフトウェアの性能又は機能向上により
放射線計測の知識をさほど求められることなく導入
し使用を開始することができる。しかしながら、測
定試料の準備、配置、測定時の分析条件が適切であ
ることの確認、ならびに機器が正しく動作すること
の日常的確認は必要不可欠であり、これらを適切に
実施するために放射性核種に対する知識にとどまら
ず、放射線計測のエレクトロニクスに関する知識も
得ておくことが望ましい。
これらを念頭に適切に HPGe 検出器を導入・使用
し、最も高い部類の放射能定量性能を発揮いただき
たい。
参考文献
1. ゲルマニ ウム 線検出器の試験方法, JIS Z
4520:2007
2. ゲルマニウム半導体検出器によるガンマ線スペ
クトロメトリー (放射能測定法シリーズ 7), 文部科
学省 科学技術・学術政策局 原子力安全課防災環境
対策室, 1992