水中音の計測

水中音の計測
加藤 洋一
水中音の計測は、図1に示すように、音源である送波器
計測系の構成と特徴
からの音波を受波器で受波して計測する。
水中音の計測における発生する信号Sと雑音Nは、受波
器で受波した音源からの音波が信号Sであり、水中で発生
図2に、計測系の構成例を示す。計測系を構成する各構
成機器の特徴を以下に示す。
する周囲雑音並びに計測系が発生する雑音及び外来から
計測系が電磁誘導を受ける雑音の総和が雑音Nである。
(1)受波器
雑音Nのレベルが大きいと、信号Sのレベルに影響を与
●
え、信号Sを正しく計測できなくなる。信号Sと雑音Nに
●
対し、正しい計測ができる各々のレベルの比、すなわち、
信号Sは計測系による周波数特性の劣化を極力抑えるこ
いい、単位は(V/μPa)で示される。
●
と。
●
受波器は、圧電素子で構成され、電気回路上、コンデ
ンサとして扱うことができる。
周囲雑音は、場所、季節等の影響を受けるので、事前
に計測するか、文献 1)等を参照して把握しておくこと。
●
受信した音波の音圧p(μPa)に対し、変換した電圧
がv(V)であるとき、k=20log(v/p)を受波感度と
SN比を考慮した計測を行うための留意事項を以下に示す。
●
受信した音波を電圧信号に変換するものである。
計測系が発生する雑音及び外来から計測系が電磁誘導
(2)増幅器
●
受波器で発生した電圧を増幅する電子回路である。低
を受ける雑音は、極力低減し、周囲雑音の最小レベル
周波数域まで損失なく受信するため、入力が高い抵抗
を増加させないようにすること。ただし、数kHz以上
値となるように構成する必要がある。
の周波数では、周囲雑音のレベルが急激に減少し、計
●
測系が発生する雑音が支配的になる場合がある。
本稿では、水中の音波を受波器で受波し、電気信号に
変換して計測する計測系の構成例と各構成機器の特徴を
扱う信号レベルが大きい場合、周波数が高くなる場合
は、高い利得を設定できない。
(3)アンチエイリアシングフィルタ
●
A/D変換器で標本化(Sampling)した際、計測する周
示す。次に、SN比を考慮した計測系の構築について示す。
波数帯域内で折り返される信号を除去するために標本
最後に、計測系が正しく構築されていることを確認する
化周波数の1/2以上の周波数成分を除去する電子回路で
ために、SN比を視覚化して把握できるレベルダイヤグラ
ある。
ムの作成方法について示す。
図1 水中音の計測
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図2 計測系の構成例
(4)A/D変換器
●
計測上限周波数の2倍以上で標本化し、計測に必要なス
テップ数でデジタル信号に量子化する電子回路である。
SN比を考慮した計測系の構築
計測系の各構成要素に対し、SN比を考慮した計測系を
構築するため、信号Sと雑音Nの取り扱いについて述べる。
(1)増幅器
(a)信号Sに対する取り扱い
図4 計測周波数範囲と帰還量、利得の関係
コンデンサと等価な静電容量C(F)の受波器で受波し
た電圧vi(V)を、入力抵抗値R(Ω)の増幅器で受信し
た場合の入力抵抗間の電圧を vo(V)とし、等価回路及
び周波数に対するvo/viの関係を図3に示す。この特性は
高域通過フィルタと同じであり、入力抵抗値R(Ω)を大
きくすると、より低い周波数まで特性を平坦にできる。た
だし、後で述べる抵抗の熱雑音の影響を考慮する必要が
ある。
図5 増幅器入力で発生する雑音
する熱雑音の影響を考慮する必要がある。抵抗値を大き
くすると、発生する熱雑音も大きくなる。
受波器の静電容量C(F)
、入力抵抗R(Ω)
、熱雑音vR
(V)
、増幅器入力で発生する電圧をvo(V)とし、図5に
等価回路と周波数に対する vo/vR の関係を破線で示す。
これは低域通過フィルタと同じ特性であり、周波数が高
図3 等価回路と周波数特性
くなるに従い、増幅器入力で発生する雑音は小さくなる。
これに加え、増幅器内部の電子回路が発生する雑音も
次に、増幅器の利得と計測する周波数範囲について述
考慮する必要がある。増幅器内部で発生する雑音をve(V)
べる。増幅器は安定した動作を得るために、帰還(Feed
とし、図5に等価回路と周波数に対するvo/veの関係を一
Back)をかけて使用する。図4に、計測周波数範囲と帰
点鎖線で示す。周波数特性は平坦である。
還量、利得の関係を示す。図中の破線は、帰還をかけな
これら二つの雑音源は独立であり、各々を電力加算し
い場合の増幅器の周波数特性を示す。帰還量を少なくす
た値を入力換算雑音といい、周波数特性を図5の実線で示
ると高い利得が設定できるが、計測する周波数範囲で特
す。入力換算雑音が、水中で受波する信号Sに影響を与え
性が平坦でなく、高い周波数や時間変化の大きい信号を
ないことが重要である。
高い利得で増幅すると、入力変化に出力が追従できず、信
号は歪んで出力される。このような信号を扱う場合は、低
い利得を設定して計測する周波数帯域幅を確保し、増幅
器を多段で接続する必要がある。
(2)アンチエイリアシングフィルタ
図6に、周波数fs(Hz)で標本化した信号Sの周波数特
性の概形を、標本化前の信号と比較して示す。標本化後
の信号は、周波数fs/2(Hz)を対称に、元の信号に周波
(b)雑音Nに対する取り扱い
増幅器の入力抵抗値は、低い周波数まで平坦な特性を
確保するために大きくすることを述べたが、抵抗が発生
数が高い成分が重なっている。この高い周波数成分が重
なることを折り返しといい、信号Sを劣化させる要因とな
る。標本化前に fs/2(Hz)以下の信号成分を通過させ、
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るように設定することで、計測する信号のダイナミック
レンジを広くとることができる。
変換ビット数を設定すると、量子化ステップ数が決ま
る。変換ビット数を8ビットとすると、量子化ステップ数
は 28=256ステップになる。変換ビット数は、多ければ
多いほど元のアナログ信号との誤差を小さくすることが
できる。
現在、よく用いられているA/D変換器は、変換ビット
図6 標本化前後の周波数スペクトル
数が16∼24ビットであるが、変換レンジを量子化ステッ
プ数で割った値である分解能と精度は必ずしも一致しな
いことに注意する。分解能とは認識できる最小の変化量
であり、精度とはどれだけ基準に近いかを表す指標であ
る。例えば、非常に細かい目盛(分解能が高い)の物差
しを作っても、物差し自体が基準よりずれていれば精度
は低いということになる。
(b)雑音Nに対する取り扱い
量子化を行う際に、量子化誤差による雑音、すなわち
量子化雑音が発生する。量子化1ステップ当たりの電圧を
q(V)とすると、量子化雑音の実効値Nq(Vrms)は、
となる2)。
図7 アンチエイリアシングフィルタ
これは量子化雑音が−q/2(V)からq/2(V)の間に、
fs/2(Hz)以上の信号成分を遮断するフィルタを挿入す
平均値が0で一様に分布しているものとし、その標準偏差
る必要がある。
を求めた結果である。
図7に、アンチエイリアシングフィルタの周波数特性を
量子化雑音以外の雑音がないものとし、変換ビット数
示す。不要な信号成分を完全に遮断するフィルタは存在
がnビットのA/D変換器のダイナミックレンジを求めるこ
せず、傾きを持って信号を減衰させる。フィルタの特性
とができる。ダイナミックレンジとは、識別可能な信号
として、傾きを急峻にすると計測する周波数帯域内にレ
の最大値と最小値の比である。
変換ビット数がnビットのA/D変換器のダイナミックレ
ベル偏差が生じる。傾きを緩くすると、標本化周波数 fs
(Hz)を高くする必要が生じる。
ンジDLをデシベルで示すと、
DL=6.02×n+1.76(dB)
信号Sだけでなく、雑音Nも標本化前にアンチエイリア
シングフィルタを挿入しないと、折り返し雑音が発生す
となる。16ビットのA/D変換器であれば、ダイナミック
る。標本化前の雑音Nが、平坦な周波数特性で、使用する
レンジは98.08(dB)になる。
周波数の帯域幅fb(Hz)
(fb>fs)を持ち、アンチエイリ
レベルダイヤグラムの作成方法
アシングフィルタを挿入しないで周波数fs(Hz)で標本
化すると、雑音レベルは10log(fb/ fs)
(dB)増加する。
構築した測定系のSN比を視覚化して確認できるものと
して、レベルダイヤグラムがある。レベルダイヤグラム
(3)A/D変換器
の作成例を図8に示し、以下、レベルダイヤグラムの作成
(a)信号Sに対する取り扱い
方法を述べる。
標本化された信号のアナログ値をデジタル値に変換す
図の上部に、受波器からA/D変換器までの測定系の構
る量子化(Quantization)において、変換レンジと変換
成を記載する。併せて、受波感度、増幅器利得、A/D
ビット数を考慮する必要がある。
変換レンジ等の設定情報を記載する。
変換レンジは、A/D変換器に入力できる電圧範囲であ
る。水中音の計測は交流信号を扱うことから、±5(V)
等、正負の電圧が入力できるものを用いる。入力信号Sの
最大ピーク電圧が、変換レンジにできるだけ近い値にな
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●
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●
図の左端に、音圧レベルをデシベル値(0(dB)=1
(μPa)
)とし、スケールを記載する。
●
音圧レベルを示したスケールの横に、受波感度に対応
した電圧レベルをデシベル値(0(dB)=1(V))と
図8 レベルダイヤグラム例
●
し、スケールを記載する。
会誌68巻2号,pp.86-91,2012年2月)に加筆、修正し
受波器を除く測定系を構成する各機器の中央部分に、機
たものである。
◆◆
器が入出力可能な最大レベルを記載する。併せて、機
器の最小入力レベルを記載する。増幅器は入力換算雑
音、アンチエイリアシングフィルタは自身の雑音の入
力換算雑音、A/D変換器は量子化雑音を記載する。
●
受波器−増幅器間に、受信する信号Sのレベル、雑音Nで
●
計測系の構成に従い、信号S及び雑音Nのレベル変化を記
ある周囲雑音及び入力換算雑音を記載する。
載する。
レベルダイヤグラム作成後、以下の確認を行う。
●
想定される受信信号の最大レベルが、計測系でサチレ
●
計測系で発生する雑音レベルが、想定される周囲雑音
■参考文献
1)R.J.Urick 著 :土屋明 訳,西村実 監修,水中音響の原理,
共立出版,Chap.7,pp.200-206,1978年
2)ATTベル研究所 :山口開生,中込雪男 監訳,情報通信システ
ム 第4章,丸善,pp.60-62,1984年
●筆者紹介
加藤洋一:社会システム事業本部 ディフェンスシステム事業部
技術第一部
ーション(飽和)していないことを確認する。
の最小レベルに影響を与えないことを確認する。
●
受信時のSN比が、計測系で劣化していないことを確認す
る。
ま と め
近年、増幅器からA/D変換器、加えて周波数分析器や
収録器まで一体となったデータ収集器が世の中に存在す
る。これらは非常に便利であるが、十分に仕様を把握し
ないで用いると、計測が失敗する可能性が高い。少々面
倒だが、レベルダイヤグラムを作成し、計測目的に合致
するかどうかを確認する必要がある。
本稿は、はじめての音響計測(加藤洋一:日本音響学
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